長州路、湯田温泉と山口市内を訪ねました。

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Last Updated: 10 June 2007

以下、『世に棲む日日』より。

幕末、この長州藩の政務役周布政之助の立場ほど困難なものはなかったであろう。かれは藩重役でありながら藩内の過激書生どもに同感を示し、その勢力に乗りつつ、一方その手綱をひきしめようとした。薩摩における西郷隆盛とその立場が酷似していた。もし周布が、西郷のような洪(ひろ)やかな人格的魅力をもってひとを吸引していれば、かれは長州の西郷隆盛になりえたであろう。しかし周布は西郷になるにはあまりにも多弁多智で、才でうごきすぎた。結局はかれはのちに、藩への責任と過激派の暴走のなかで板ばさみになり、ついには自殺をとげるにいたる。

現地案内板より

周布政之助は、長州藩の重臣として幕末の動乱期に奔走して藩政に尽くした。高杉、伊藤、井上等の青年志士をよく庇護し、藩論が動揺する中にあって、いつも指導的な立場にあって藩の方向を定めた。
幕府の長州征伐に当たっては、萩では俗論派が威をふるい、急進派の志士を遣責したが、周布も謹慎を命ぜられ、大歳の吉富家へ軟禁された。しかし周布は身をもって藩内の紛争を防ごうとして元治元年九月二十六日遺書を残して自刀して果てた。享年四十二才であった。この碑は、その周布の偉勲を永久に伝えるため、自刀の地の近くを選んで建設したものである。

周布政之助の碑

周布政之助の碑

現地案内板より

瓦屋は幕末から明治初期にかけて木戸孝允など維新の志士たちが利用した旅館。松陰門下生・山田顕義の妻は瓦屋の娘である。

瓦屋跡

史跡かわらや

高田公園 ※現地案内板より

この公園は、明治維新の大業推進の功があった井上馨候の生誕地で、井上公園と呼ばれ親しまれていましたが、後に区域が広がり、地名をとって高田公園となりました。
園内には、井上馨候の銅像や、文久三年(1863年)の政変で、京都から長州に落ちのびた三条実美ら七卿が寄宿した何遠亭(かえんてい)跡や、かん難辛苦のなかに国事につくした功績を記念して建てられた七卿の碑があります。このほか、「日本のランボウ」といわれた、中原中也の詩碑や、防府市出身の漂白の俳人、種田山頭火の句碑が建っています。

中原中也誕生の地址

中原中也誕生之地

瑠璃光寺
山口市香山町にある曹洞宗の寺院、西の京といわれる山口市の観光名所です。

瑠璃光寺 五重塔

瑠璃光寺 五重塔

司馬遼太郎 街道をゆく 長州路

司馬遼太郎 街道をゆく 長州路

長州は、いい塔をもっている
と、惚れぼれするおもいであった。長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世や、ザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。

大内弘世公之像

大内弘世公之像

フランシスコ ザビエル

井戸端で説教するフランシスコ ザビエル