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幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っている時代(江戸時代)の末期を指す。通常は、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(18 69年)までの時代を指す。鎌倉幕府や室町幕府の末期を「幕末」と呼ぶことはない。
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ペリー来航の幕末開始の年、嘉永六年(1853)、坂本龍馬は北辰一刀流千葉道場に入門。吉田松陰は佐久間象山に入門。村田蔵六(大村益次郎)は宇和島藩主伊達宗城の招聘を受け宇和島へ。高杉晋作は藩校の明倫館に学んでおりました。以下、幕末における主な出来事を年表にまとめてみました。当サイト登場人物の当時の動向も記載しております。

これより以前は江戸時代後期をご覧ください。

坂本龍馬像 桂浜

嘉永六年

‐1853年‐

黒船来航

4月

  • 坂本龍馬、北辰一刀流千葉道場に入門。

6月

  • アメリカ合衆国が派遣したペリー提督率いる黒船(軍艦4隻)、浦賀沖に来航。
  • 吉田松陰、佐久間象山に入門。
  • 将軍徳川家慶(いえよし)が死去。

9月

  • 村田蔵六(大村益次郎)、宇和島藩主伊達宗城(だて むねなり)の招聘を受け宇和島へ。

11月

  • 徳川家定(いえさだ)が第13代将軍に就任。

安政元年

‐1854年‐

開国、鎖国体制の終焉

1月

  • ペリー再び来航、日米和親条約を締結、下田と函館が開港し鎖国体制が終焉。

3月

  • 吉田松陰・金子重輔、下田でペリー艦隊のポーハタン号に向かい密航を企てるが失敗。

4月

  • 西郷隆盛、島津斉彬のお庭方役となり、斉彬より直接教えを受けるようになる。藤田東湖にも会い、国事について教えを受けた。

6月

  • 坂本龍馬、土佐に帰郷し画家の川田小龍に師事する。

10月

  • 吉田松陰、金子重輔、野山獄・岩倉獄に投獄。

安政二年

‐1855年‐

松陰、松下村塾の主宰者に。

3月

  • 福沢諭吉、適塾に入門。

7月

  • 江戸幕府、海軍士官養成のため長崎に海軍伝習所を設置。

10月

  • 安政の大地震、この地震で藤田東湖が死去。

12月

  • 吉田松陰、萩の生家で預かりの身となり、叔父の玉木文之進が開いていた私塾松下村塾を引き受けて主宰者となる。

安政三年

‐1856年‐

3月

  • 村田蔵六、宇和島藩主伊達宗城の参勤にしたがって上京、これより以前、シーボルトの娘いねが宇和島で蔵六に師事している。

8月

  • タウンゼント・ハリス、下田玉泉寺に米国領事館を構える。
  • 坂本龍馬、再び江戸千葉道場へ。
  • 武市半平太、江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に入門。

10月

  • 吉田稔麿、松浦松洞、松下村塾入門。

11月

  • 村田蔵六、麹町に「鳩居堂」を開塾、蘭学・兵学・医学を教える。

12月

  • 徳川家定と斉彬の養女・篤姫が結婚。
  • 長州藩の軍艦、丙辰丸完成。

安政四年

‐1857年‐

高杉晋作、松下村塾に入門

閏5月

  • 松本良順、長崎伝習之御用として長崎に赴任。語学の天才である司馬凌海(しばりょうかい)を伴い、ポンペに医学を学ぶ。

6月

  • 安政の改革を主導した、老中阿部正弘死去。

8月

  • 咸臨丸完成、日本へ回航され、長崎海軍伝習所の練習艦となる。

12月

  • 久坂玄瑞、吉田松陰の妹ふみと結婚。

月不詳

  • 福沢諭吉、適塾の第4代塾頭になる。
  • 高杉晋作、松下村塾に入門。
  • 村田蔵六、幕府の講武所教授となる。

安政五年

‐1858年‐

安政の大獄

1月

  • 坂本龍馬、北辰一刀流長刀兵法目録を授けられる。

4月

  • 松平春嶽、横井小楠を福井藩の政治顧問に招く。

5月

  • 周防国の勤王僧、月性死去。

6月

  • 井伊直弼、江戸幕府の大老に就任。孝明天皇の勅許を得られぬまま日米修好通商条約に調印。

7月

  • 徳川家定死去。
  • 島津斉彬、天保山で大軍事調練を実施の折り急逝。西郷隆盛は訃報を聞き殉死を考えるが月照らに説得されて、斉彬の遺志を継ぐことを決意。
  • 高杉晋作、江戸へ。

8月

  • 戊午の密勅(ぼごのみっちょく)、孝明天皇から水戸藩に下賜される。これにより安政の大獄が本格化する。
  • 水戸藩では斉昭に忠実な天狗党と幕府との関係を重視する諸生党が対立していたが、密勅の対応を巡って更に対立が激化する。

9月

  • 坂本龍馬、土佐に帰国。

10月

  • 徳川家茂(いえもち)[慶福]、第14代将軍に就任。

11月

  • 西郷隆盛は僧月照、平野国臣らとともに船で日向に向かうが、前途を悲観した西郷は竜ヶ水沖で月照とともに入水する。平野らの救助空しく月照は死亡、西郷は運良く蘇生。

12月

  • 吉田松陰、老中首座間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺計画が頓挫、野山獄に投獄される。

安政六年

‐1859年‐

吉田松陰斬首

1月

  • 河井継之助、江戸へ。
  • 薩摩藩、西郷隆盛を奄美大島に潜居させる。

2月

  • 長崎海軍伝習所閉鎖。

5月

  • 吉田松陰、召還状を受け江戸伝馬町牢へ。

7月

  • 河井継之助、備中松山藩へ行き山田方谷に師事する。

9月

  • 安政の大獄で有能な人物が次々と犠牲になる。梅田雲浜、獄死。

10月

  • 頼三樹三郎・橋本左内、小塚原刑場にて斬首。
  • 吉田松陰、伝馬町処刑場にて斬首。

月不詳

  • シーボルト(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)再来日

安政7年、万延元年

‐1860年‐

桜田門外の変

1月

  • 日米修好通商条約の批准書を交換するため、勝海舟・福沢諭吉・ジョン万次郎など、咸臨丸で太平洋横断。

3月

  • 桜田門外の変、大老井伊直弼が暗殺され、幕府の権威が大きく失墜。

月不詳

  • 村田蔵六、江戸で故郷の長州藩士となる。

万延2年、文久元年

‐1861年‐

尊王攘夷 VS 公武合体

8月

  • 武市半平太、坂本龍馬・吉村寅太郎・中岡慎太郎らの同士を集め、江戸にて土佐勤王党を結成。

12月

  • 尊王攘夷思想が隆盛、幕府は対抗し公武合体をすすめ、孝明天皇の妹の和宮を14代将軍家茂夫人として降嫁させることに成功。

文久二年

‐1862年‐

龍馬脱藩

1月

  • 坂下門外の変。老中安藤信正、坂下門外で水戸浪士6名に襲撃され負傷。

2月

  • 西郷隆盛、奄美大島より帰還。大島三右衛門(大島に3年居たという洒落)と名乗る。島津久光を地ゴロ(田舎者という意味)と云い、久光の不興を買った。

3月

  • 坂本龍馬、沢村惣之丞と脱藩。

4月

  • 土佐藩参政・吉田東洋、暗殺される。
  • 島津久光は、京都伏見の寺田屋に集結している有馬新七らを鎮撫するため、奈良原繁・大山格之助(大山綱良)らを寺田屋に派遣した。奈良原らは激派を説得したが聞かれず、やむなく有馬新七ら8名を上意討ちにした。
  • 高杉晋作、上海へ。

6月

  • 西郷隆盛は徳之島へ、村田新八は喜界島へ遠島。

7月

  • 徳川慶喜、将軍後見職となる。
  • 会津藩主・松平容保、京都守護職となる。

8月

  • 生麦事件発生。
  • 西郷隆盛、徳之島からさらに沖永良部島へ遠島。
  • 井伊直弼の参謀で安政の大獄の元凶である長野主膳(ながのしゅぜん)、斬首・打ち捨ての刑に処される。

11月

  • 上野彦馬、上野撮影局を長崎に開設。

12月

  • 高杉晋作らによる、英国公使館焼き討ち事件発生。

文久三年

‐1863年‐

高杉晋作 奇兵隊を結成

2月

  • 清河八郎、将軍徳川家茂上洛の際、浪士組を率いて京都へ出発。
    (近藤勇・土方歳三・芹沢鴨らは清河と袂を分け新選組に発展していく)。

3月

  • 将軍徳川家茂、上洛し義兄である孝明天皇に攘夷を誓う。

5月

  • 長州藩、関門海峡で外国船砲撃を行が、報復に逢い惨敗。
  • 井上聞多、伊藤俊輔等5名、英国へ密航。

6月

  • 高杉晋作、白石正一郎邸において身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成。
  • 緒方洪庵死去。

7月

  • 薩英戦争勃発。

8月

  • 公家・中山忠光を盟主に立てた吉村寅太郎らの天誅組、大和五条代官所を襲撃。
  • 八月一八日の政変勃発。薩摩藩・会津藩を中心とした公武合体派が、長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都から追放。
  • 七卿落ち。三条実美ら七卿が都落ち。

10月

  • 但馬国生野の乱勃発。平野国臣ら、生野代官所を襲撃するも失敗し捕えられる。
  • 坂本龍馬、神戸海軍塾の塾頭となる。

月不詳

  • 村田蔵六、長州へ帰り博習堂の洋学教授となる。山口の普門寺塾でも兵学を教授。

元治元年

‐1864年‐

激動の年、元治元年

2月

  • 西郷隆盛は徳之島から、村田新八は喜界島から帰藩。

3月

  • 天狗党の乱。藤田小四郎・武田耕雲斎ら天狗党が筑波山で挙兵。
  • 高杉晋作、野山獄に投獄。
  • 西郷隆盛、京都へ。軍賦役(軍司令官)を任命される。

5月

  • 勝海舟、軍艦奉行となる。幕府海軍操練所を兵庫に開設。

6月

  • 池田屋事件。新選組が京都三条木屋町の旅館池田屋で、潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃。
  • 四国連合艦隊による下関攻撃が近いことを知った伊藤博文と井上聞多は急遽英国より帰国。

7月

  • 三条木屋町で河上彦斎らが佐久間象山を暗殺。
  • 伊藤博文と井上聞多、英初代駐日総領事オールコックに面会して藩主を説得することを約束、長州へ帰藩。
  • 蛤御門の変(禁門の変)勃発、来島又兵衛・久坂玄瑞・寺島忠三郎ら戦死。長州は薩摩を嫌い「薩奸会賊」と呼ぶようになった。
  • 平野国臣、蛤御門の変で発生した火災が囚人脱走につながることを恐れた京都所司代の役人により六角獄舎で斬首。
  • 真木和泉ら十七烈士、天王山で自刃。

8月

  • 四国艦隊下関砲撃事件勃発、英・仏・蘭・米の列強四国艦隊、長州藩の下関砲台を占拠。

9月

  • 第一次長州征伐。
  • 桂小五郎、京都に潜伏後、但馬国城崎温泉に逃れる。
  • 井上聞多、袖解橋で対立する長州藩士の襲撃され瀕死の重傷を負う。
  • 大阪で西郷隆盛と勝海舟が初の面談、西郷は勝を賞賛する手紙を大久保利通に送っている。

10月

  • 高杉晋作、長州藩を脱出。

11月

  • 高杉晋作、藩の俗論党に追われ野村望東尼(福岡の平尾山荘)を訪ねる。
  • 長州藩三家老切腹。
  • 三条実美らの五卿、山口より長府に移る。

12月

  • 高杉晋作、伊藤俊輔(伊藤博文)率いる力士隊ら長州藩諸隊を率いて功山寺で挙兵。
  • 水戸天狗党、加賀藩に投降し乱は終結。

元治二年、慶応元年

‐1865年‐

頻発する災異を嫌い慶応に改元

1月

  • 高杉晋作、俗論派の首魁椋梨藤太らを排斥して藩の実権を握りる。

2月

  • 武田耕雲斎ら天狗党、大量処刑される。
  • 五卿、太宰府天満宮の延寿王院へ。

4月

  • 高杉晋作、開国思想に転じていたため攘夷派・俗論派に命を狙われ、愛妾・おうのとともに四国へ逃亡、 博徒の親分日柳燕石(くさなぎ えんせき)に匿ってもらう。
  • 慶応に改元。

5月

  • 坂本龍馬、薩摩からの帰りに肥後の横井小楠と3度目の面談。
  • 村田蔵六、大村益次郎と改名。藩政改革における軍事体制の整備を担当。
  • 坂本龍馬、長崎に亀山社中を設立。

閏5月

  • 土佐勤王党の武市瑞山、三文字の切腹を遂げる。

6月

  • 鹿児島入りした中岡慎太郎は、西郷に薩長の協力と和親を説き、下関で桂小五郎(木戸孝允)と会うことを約束させた。しかしこの時西郷は下関寄港を取りやめ、急ぎ上京した。

10月

  • 野村望東尼、福岡藩で尊王攘夷派弾圧が強まり姫島へ流される。

慶応二年

‐1866年‐

薩長同盟締結

1月

  • 高杉晋作、坂本龍馬にピストルを贈る。
  • 坂本龍馬・中岡慎太郎らが周旋し、京都薩摩藩邸内で木戸孝允・西郷隆盛らにより薩長同盟が締結。
  • 坂本龍馬、寺田屋で幕吏に襲撃される。
  • 赤根武人、斬首。

3月

  • 坂本龍馬、傷を癒すため妻おりょうと鹿児島に旅行する。

6月

  • 幕府軍艦の大島砲撃により、第二次長州征伐(四境戦争)始まる。
  • 大村益次郎、第二次長州征伐において石州口方面の指揮を担当。浜田城を陥落。
  • 高杉晋作、幕府軍より周防大島を奪還。また小倉方面では門司・田ノ浦の沿岸を砲撃、奇兵隊らを上陸させ、幕軍施設を破壊し敗走させた。

7月

  • 将軍徳川家茂、松本良順の治療も虚しく大阪城で死去。

9月

  • 勝海舟と長州の広沢真臣・井上馨が宮島(広島県)で会談、第二次長州征伐の停戦合意が成立。
  • 野村望東尼、高杉晋作の指示を受けた志士の助けで姫島を脱し、下関の白石正一郎宅へ。

12月

  • 徳川慶喜、第十五代将軍に就任。
  • 孝明天皇、天然痘に罹り崩御。

慶応三年

‐1867年‐

大政奉還

1月

  • 明治天皇践祚の儀が執り行われる。

2月

  • 後藤象二郎、岩崎弥太郎らで土佐商会長崎出張所が設立。

4月

  • 高杉晋作死去。
  • 海援隊のいろは丸、紀州藩明光丸と衝突し沈没。

6月

  • 坂本龍馬、後藤象二郎とともに夕顔丸で船中八策を策定。

10月

  • 徳川慶喜、二条城にて大政奉還を発表。

11月

  • 野村望東尼、三田尻で死去。
  • 坂本龍馬、京都の近江屋(京都市中京区)で中岡慎太郎と共に暗殺される。

12月

  • 王政復古、討幕派の計画により「天皇親政」が宣言。徳川慶喜、大阪城へ移る。
  • 海援隊、いろは丸沈没事件の賠償金を紀州藩より受け取る。
  • この時期、世直し一揆や打ち毀しが頻発、『ええじゃないか』という奇妙な流行が見られた。

慶応四年、明治元年

‐1868年‐

戊辰戦争勃発

1月

  • 戊辰戦争の緒戦となる鳥羽伏見の戦いが勃発。
  • 徳川慶喜、大阪城を出て軍艦開陽丸にて江戸へ脱走。慶喜は恭順謹慎を表明。

2月

  • 徳川慶喜、上野の寛永寺大慈院において謹慎。
  • 渋沢成一郎や天野八郎らにより彰義隊が結成。

3月

  • 山岡鉄舟、薩摩の益満休之助を案内役とし、駿府在の西郷隆盛のもとに交渉に向かう。
  • 明治政府の基本方針、五箇条の御誓文が示される。
  • 河井継之助、上席家老(執政)になる。

4月

  • 勝海舟が終戦処理にあたり、山岡鉄舟による周旋、天璋院や和宮の懇願、西郷・勝会談による決戦の回避、結果江戸城は無血開城する。
  • 元新選組局長・近藤勇斬首。

5月

  • 奥羽越列藩同盟。会津藩、仙台藩などの奥羽、越の諸藩が同盟を締結。
  • 大村益次郎、上野戦争において寛永寺に立て籠もった(輪王寺宮を擁立)彰義隊を破る。

7月

  • 江戸、東京と改称。

8月

  • 長岡で北越戦争、会津で会津戦争、秋田で秋田戦争など激しい戦闘がおこなわれたが、いずれも新政府軍の勝利に終わる。
  • 河井継之助、会津へ落ちのびようとしたが破傷風により只見にて死去。
  • 明治に改元。

12月

  • 旧幕府海軍副総裁の榎本武揚は幕府が保有していた軍艦を率い箱館の五稜郭を占拠。明治政府から独立した蝦夷共和国の樹立を宣言。

明治二年

‐1869年‐

戊辰戦争終結

1月

  • 横井小楠暗殺される。

5月

  • 土方歳三戦死。
  • 箱館戦争、旧幕府軍が新政府軍に降伏し、戊辰戦争が終結。

9月

  • 大村益次郎、京都三条木屋町上ルの旅館で刺客に襲われ重傷を負う。

11月

  • 大村益次郎、その後容態が悪化し死去。