富海(とのみ)は防府市の東端に位置し、瀬戸内海に面した古くからの漁港でした。江戸時代には漁船が発展して小型でスピードの速い飛船(とびふね)となり、大坂や瀬戸内沿岸の地を行き来しました。幕末には勤皇の志士たちの活動にこの飛船が重要な役割を果たすこととなります。

富海の海

富海の海
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Last Updated: 4 April 2010
富海(とのみ)は防府市の東端に位置し、瀬戸内海に面した古くからの漁港でした。江戸時代には漁船が発展して小型でスピードの速い飛船(とびふね)となり、大坂や瀬戸内沿岸の地を行き来しました。幕末には勤皇の志士たちの活動にこの飛船が重要な役割を果たすこととなります。
富海の海
富海の海
※ほうふweb歴史館 防府歴史用語辞典 より引用しました。
本陣[ほんじん]は中市に置かれました。半宿[はんしゅく]で、宮市よりも規模がやや小さかったので、大名行列が休息するときや、少人数での宿泊に使われました。 本陣の主人は、江戸時代の中頃からは石川家が代々つとめていました。
富海本陣跡の門
飛船問屋 大和屋政助の船蔵
文久3年(1863)大和挙兵に敗れた中山忠光を大坂から飛船で連れ帰りかくまったり、元治元年(1864)高杉晋作の下関への脱出を助けたのも大和屋政助でした。
飛船問屋 大和屋政助の船蔵
飛船問屋 大和屋政助の船蔵
大和屋政助の墓
大和屋政助の墓
品川弥次郎の揮毫で、尊攘義侠大和屋政助墓と書かれています。
富海の港
円通寺
幕末には長州軍の陣屋が置かれました。
庄屋山右衛門 店内
富海に近い山口県周南市戸田3990にある食事処:『庄屋山右衛門』
庄屋山右衛門 店内
庄屋山右衛門 店内
富海宿 (とのみしゅく)