六月十日、山口にて雨。アカマツ
と、私の手帳にある。「アカマツ」とそれだけメモをしてあるのは、この宿のおそらく作庭して二百年以上は経ているらしい庭の赤松がこまかい雨に濡れて枝もその根方の翠苔もじつにあざやかであった。
その印象を忘れぬために書いておいた。
以上、『街道をゆくシリーズ 甲州街道、長州路』より引用しました。
高杉晋作は、「国家ニ盡スノトキナリ」、とここにあった楓の幹に所感を刻み込んだ。
(*無断での写真の転用は禁止いたします)
Last Updated: 10 June 2007
幕末志士たちの宿、松田屋を山口市湯田温泉に訪ねました。司馬遼太郎氏もかつてこの宿に宿泊されています。
六月十日、山口にて雨。アカマツ
と、私の手帳にある。「アカマツ」とそれだけメモをしてあるのは、この宿のおそらく作庭して二百年以上は経ているらしい庭の赤松がこまかい雨に濡れて枝もその根方の翠苔もじつにあざやかであった。
その印象を忘れぬために書いておいた。
以上、『街道をゆくシリーズ 甲州街道、長州路』より引用しました。
高杉晋作は、「国家ニ盡スノトキナリ」、とここにあった楓の幹に所感を刻み込んだ。
維新の湯の浴槽は、徳川幕府末期1860年につくられたもので、当時長州、薩摩、土佐の勤皇の志士高杉晋作、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、大村益次郎、山県有朋、井上馨、坂本竜馬らや、七卿落の公卿三条実美らが、しばしば松田屋で会合して、倒幕皇政復古の密議をしたときに入浴使用した歴史的文化財であります。
維新の湯由来 ※松田屋の現地説明板より