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Last Updated: 13 August 2006

長崎会所跡 現地案内板より

延宝3年(1675)、糸割符会所跡に設置された市法会所は、元禄11年(1698)、長崎会所と改称され、オランダ貿易や中国貿易の業務と幕府の運上や市中への配分などを管掌した。
勘定奉行や長崎奉行の支配下で、正徳新令以降、その職員は会所調役(2人)以下、会所目付(2人)、吟味役(8人)、請払役(47人)、筆者(85人)、金見・銀見他(9人)など、240人を数えた。敷地が544坪。明治7年(1874)以降は、裁判官の官舎とされた。

長崎会所跡

長崎会所跡

長崎歴史文化博物館

長崎奉行所を復元したとされる長崎歴史文化博物館

オランダ坂

長崎の人は東洋人以外の外国の人をすべて"オランダさん"と呼んでいたそうです。このことから居留地にある坂はオランダさんの通るオランダ坂。活水へ上る活水坂、東山手から大浦石橋に向かって下る誠孝院前の坂などをいいます。

湊会所跡

1859年の安政の開国により、長崎、神奈川、箱館3港がアメリカなど5カ国に対して開港され、それに伴う貿易・外交事務をつかさどる湊会所が設置されました。

オランダ坂

オランダ坂

湊会所跡

湊会所跡

東山手十二番館

重要文化財東山手十二番館は、1868年(明治元年)に建設されたもので、竣工後ほどなくロシア領事館が置かれました。その後アメリカ領事館やアメリカのメソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師などの住宅として使われました。1941年に活水学院に譲渡されましたが、1976年に建物は長崎市に寄贈されました。建築の基本形式は初期洋風建築の形式ですが、正面中央の幅の広い廊下と3つの大きな部屋などに領事館当時の名残りを見ることができます。

東山手十二番館

東山手十二番館

東山手十二番館

東山手十二番館

旧香港上海銀行長崎支店記念館

香港上海銀行長崎支店として明治40年頃に建造されたコンクリート式の石造円柱をもつ重厚な洋館です。旧香港上海銀行長崎支店に関する資料や、海外との交流に関する歴史資料などが展示されています。

旧香港上海銀行長崎支店記念館

旧香港上海銀行長崎支店記念館

長崎市べっ甲工芸館

長崎市べっ甲工芸館は国指定重要文化財「旧長崎税関下り松派出所」に設けられています。当館に展示されているべっ甲工芸品は、全国から収集されています。

長崎市べっ甲工芸館

長崎市べっ甲工芸館

唐人屋敷跡

唐人屋敷とは、当時長崎の市内に居住していたすべての中国人を収容するために、元禄2年(1689年)に江戸幕府によりつくられたもので唐館とも呼ばれていました。当時激増していた密貿易への対策として、唐人の隔離政策がとられたのです。面積は約3万平方メートルで、出島の約2倍の広さになります。

唐人屋敷跡

唐人屋敷跡