
松陰は安政5年(1858)、安政の大獄に連座し江戸へ送られ、老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、安政6年(1859)10月27日、評定所で死刑の判決を受け、小塚原にて斬首されました。 その前日に獄中で、門弟たちにむけて「留魂録」を書き残しています。
「留魂録」に関しては、山口県出身の直木賞受賞作家:古川薫氏が
『吉田松陰 留魂録』で詳しく解説されています。
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Last Updated: 5 October 2008
■野山獄跡
■岩倉獄跡
■涙松遺跡


【留魂録の冒頭に書かれた辞世の句】
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
親思う心にまさる親心 けふのおとずれ 何ときくらん

幕府が敢行した安政大獄の大弾圧は、かえって反幕の火に油をそそぐ結果となった。高杉晋作、久坂玄瑞をはじめとする松下村塾グループは、殉教者となった松陰の遺志を継いでふるいたつのである。
吉田松陰は、幕末の暗黒時代に長州藩がささげた最初の犠牲だった。慶長の藩初から長州に底流する徳川幕府への遺恨が、ようやく明確なかたちであらわれたとすれば、それは安政六年の松陰処刑からだといってよい。もちろん長州藩の藩幕行動が、ただ関ヶ原いらいの怨念に発するという単純なものではないが、ひとつの精神的背景をなしたことはたしかだろう。そして吉田松陰という先覚者の出現が、長州藩を藩幕勢力の先頭に押しあげたのである。「彼は難産した母である。みずからは倒れたが、その生命を伝えた赤児は育ち、母の使命を果たした」
蘇峰徳富猪一郎のことばである。
古川薫氏著『歴史散歩 城下町 萩』より引用させていただきました。
松陰の大和魂はその後の革命の志士たちに見事に受け継がれ、今尚わたしたちの心にも生きつづけています。松陰の生き方に深く心を動かされた少女岩井光子さんの遺言で出来た吉田松陰銅像の話、いいお話なのでリンクさせていただきました。
東京都立日本橋高等学校のHP
