更新履歴 Last Updated: 23 September 2011

更新履歴記録日更新内容
2011.12.4

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

井上聞多を人物別分類で独立させました。地域別分類(山口県の山口市や富海)にあった資料より再編集しております。

2011.9.23

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

人物別に高杉晋作の琴平、坂本龍馬のいろは丸事件、中岡慎太郎の生家と高知・京都を新たに追加しました。吉村寅太郎にも生家の情報を追加しています。地域別では土佐に岩崎弥太郎を新たに追加しました。

2011.7.31

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

地域別分類の京都に、薩長同盟・大政奉還を新たにUpしております。宮部鼎蔵・横井小楠・橋本左内・吉村寅太郎の関連情報を集約し、人物別分類で独立させました。

2010.7.4

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

地域別分類の長崎に、高島流砲術の創始者である高島秋帆(たかしましゅうはん)寛政10年(1798)~慶応2年(1866)の宅跡、大浦けいの居宅跡、土佐商会などを新たにUpしております。是非ご覧ください。

2010.6.13

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

地域別分類に筑前筑後を追加し、福岡の名島城址、福岡城址、大宰府天満宮の延寿王院や真木和泉の久留米水天宮などを新たにUpしております。 是非ご覧ください。

2010.5.30

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

熊本藩士であり尊皇攘夷派の活動家であった宮部鼎蔵(みやべていぞう)文政3年(1820)~ 元治元年(1864)、同じく熊本藩士であり儒学者でもあった横井小楠(よこいしょうなん)文化6年(1809)~ 明治2(1869)に関して、地域別分類に新たに肥後を追加しました。是非ご覧下さい。

2010.5.16

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

人物別分類に福沢諭吉・佐久間象山・月性を新たに追加し、地域別分類に信州、中津、岩国、周防大島(四境戦争)を追加いたしました。他一部更新いたしております。是非ご覧下さい。

2010.4.25

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

野村望東尼に三田尻、長州弐に富海と三田尻、久里浜にペリー上陸、生麦事件~薩英戦争を追加、他いろいろと各ページを更新いたしております。是非ご覧下さい。

2010.2.21

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

萩、山口方面へ行って参りました。人物別分類の高杉晋作、吉田松陰、桂小五郎、大村益次郎関連の写真を一部更新いたしました。
また地域別分類に萩、萩往還など追加更新しております。是非ご覧下さい。

2010.2.7

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

坂本龍馬とおりょうが新婚旅行をした地、霧島をあらたに追加しました。
また随分以前に訪れた地ですが、秀吉の名護屋城を肥前佐賀に追加しております。是非ご覧下さい。

2010.1.23

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

人物別分類に上野彦馬、地域別分類に日田の咸宜園を新設しました。 あわせて、長崎のページを更新しております。是非ご覧下さい。

2009.12.12

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

坂本龍馬と所縁の深い地、福井市(松平春嶽、橋本左内、由利公正 等)を訪ねて参りました。 サイト更新いたしております、是非ご覧下さい。

2009.10.4

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

先達て四国へ行き、坂本龍馬(高知、梼原)や大村益次郎(宇和島)の所縁の地を訪ねて参りました。 サイト更新いたしております、是非ご覧下さい。

2009.5.17

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。

先達て岡山県へ行って参りました。ここは『峠』の主人公、河井継之助が師と仰ぐ山田方谷が生涯を過ごした地、備中松山藩(高梁市)があります。サイト更新いたしております、是非ご覧下さい。

2008.11.8

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。先達て佐渡島へ行って参りました。ここは『胡蝶の夢』の主人公「島倉伊之助」の故郷でもあります。

2008.4.29

みなさま、ようこそおいでくださいました。幕末紀行人です。漸く、一昨年と昨年に取材しました久坂玄瑞(くさか げんずい)と平野国臣(ひらの くにおみ)関係のページをアップいたしました。この作業の際、ほかにも随分と取材写真があることに気づきましたので、吉田松陰や萩関係のページも新たに追加しアップする予定です。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2008.1.2

みなさま、あけましておめでとうございます。幕末紀行人です。昨年せっかく取材しました久坂玄瑞(くさか げんずい)や平野国臣(ひらの くにおみ)関係のページを作らぬまま新年を迎えてしましました。相変わらずスローペースでの更新ですが、どうかお許しください。今年はなんとか時間をつくって頑張ります!?

昨年の秋ころからでしょうか、浅田次郎さんの小説を何冊も読みました。それまで読んだことがなかったのですが、今では大ファンになってしまい沢山読ませていただいております。浅田さんは幕末関係の小説も書かれており、時代の流れについて行けずも決して武士の魂を棄てない男 をテーマにしたものが多いようです。

長編の壬生義士伝や短編集である五郎治殿御始末などお薦めです。これに感化され、今年は佐幕方縁の地へも歴史紀行してみようと思います。本年も何卒よろしくお願いいたします。

2007.6.23

最近は司馬遼太郎氏の『街道をゆく』シリーズや、『歴史と視点』『国家・宗教・日本人』『人間というもの』などを読みました。

『人間というもの』は司馬作品のベストセラー箴言集であり、例えば、以下のように抜粋されています。

大坂城をとって天下を得た徳川氏は、大坂城をすてて天下をうしなった。
この巨城は、信長以来、つねにあたらしい権力者の目標となり、史上数度もその総攻撃の前にさらされた。しかも、武力によって陥ちたことは一度もなく、つねに政治情勢の変化のために前時代の主権者は、この城を、出ざるをえなかった。この城が開城するとき、日本史はそのつど、つねに一変した。ふしぎな城ではないか。
-『歴史の世界から』(「歴史を変えた黄金の城」)

2007.2.25

皆さんこんにちは、幕末紀行人です。『平戸』を新たにUpしました。また『吉田松陰』を更新しております。

最近は司馬遼太郎氏の『街道をゆく』シリーズを読んでおります。『街道をゆく』は司馬氏が各地の史跡を巡りながら書かれたエッセイですが、実際の出来事を小説風に書かれた文章がたまにあり、そのほのぼのした描写に感激しております。今後は【幕末紀行人ブログ】でもご紹介していきたいと思いますが、今回1.甲州街道、長州路よりひとつご紹介させていただきます。

私(※司馬遼太郎氏)がこの池で泳いでいたのは、満州事変前後だったと思うが、そのころには「大鉄」と呼ばれていた大阪アベノまでの近鉄吉野線が、この村から十八丁ふもとまでちゃんと走っていたのだが、それでも子供たちの行動範囲は隣村まで及ぶということはなかった。
子供たちはカミの池を怖れていたが尊敬もしていた。なぜなら、これほど大きい池はちょっと近在になかったからである。
「海ちゅうのは、デライけ?」
と、なかまの子供たちからきかれたことがある。デライ、というのはドエライということで、大きいという意味であった。
私は、山のことや鳥や虫、または池のことになると村の子供たちの経験知識にはるかに及ばないが、しかし大阪からやってくるという立場上、村外の知識はかれらより多く持っていた。
「デライ」
と、断定すると、子供たちはうなずいてくれた。子供たちはさらに、
「カミの池よりデライけ」
ときいた。私は比較の表現に困り、
「むこうが見えん」
というと子供たちは大笑いし、そんなアホな池があるもんけ、と口々にののしり、私は大うそつきになってしまった。そのころからみると、いまの日本はじつに文明開化したものである。

2006.8.16

皆さんこんにちは、幕末紀行人です、今年の夏は随分暑いですね。いまはエアコンの普及で職場や家庭でもこの猛暑を比較的楽にのりこえられますが、江戸時代なんて大変だったでしょうね。ただ、室外機からの熱風や排気ガスなどシティヒートなんてなくてもう少し夏も涼しかったのかも知れませんね。
これまでサイトを更新をする時間がなかなかとれなかったのですが、ここ最近ちょこちょこ加筆・修正を始めました。取り敢えずUpしとこ、のノリでUpし放置したまま全体の流れがつかみづらくなっていた箇所など少しづつ手直ししております。

司馬遼太郎氏著書:『長安から北京へ』をこれまで読んでおりませんで、今読んでいる途中です。私は仕事で頻繁に中国各地へ出張します。このときに撮った写真が随分とありますので、新たなコーナーを設けてご紹介しようかと計画しております。タイトルは『長安から北京へ』、司馬氏の書籍の中で紹介されているものとは異なりますが、中国各地の史跡をご紹介いたします。余談ですが、この書籍のなかで司馬氏が紹介されている(30年くらい前の話ですが・・)北京にあるすごい地下都市、これは知りませんで大変驚きました。機会があれば見てみたいものです。
【北京地下城に関しての参考サイト】

また、幕末紀行人ブログなども準備を進めております。こちらは幕末紀行人のルーツを探る旅で、関係各所写真とコメントで紹介させていただこうと思っております。
これら新しい二つのこころみは、この秋にはスタートさせたいと思っております。ご来場の皆さん、これからも『幕末歴史探訪』と『明治という国のかたち』に遊びに来てください、よろしくお願いいたします。

2006.6.4

幕末紀行人です、こんにちは。このサイトを立ち上げてもう4年が経過しました。下に書いたこれから行きたいところも随分消化できているようです。
この度、個人的に大好きだった『河井継之助』縁の地を訪ねて参りました。ページを追加しておりますので、皆さん是非ご覧になってください。

随分以前には掲示板も設けており、インタラクティブで便利な面も少しはあったのですが、嫌な落書きも多かったため現在は閉鎖しました。今後このページを使って、少々情報発信して行きたいと考えております。皆様のご意見はメールでいただければ幸いです。その際、幕末歴史探訪とメールのタイトルに入れていただければジャンクメールとの区別がつき易く助かります。これまで相互リンクなど私に送ってくださったメールで返信がないようであれば、ジャンクメールと間違えて削除した可能性もありますので、そういう方は再度メールを頂けましたら必ずご連絡するようにいたします。

これからも幕末歴史探訪をよろしくお願いします。兄弟サイトである『明治という国のかたち』も近々に更新予定です。


幕末 河井継之助 みなさんこんにちは。本サイト管理者『幕末紀行人』です。
幕末歴史探訪~幕末を紀行する~ へようこそおいでくださいました。

私は大の司馬遼太郎ファンで、幕末に関する司馬氏の小説を読み、その舞台となった地または所縁の地を実際にあるき取材した写真を本サイトに掲載しております。司馬氏の幕末作品でこれまで読んだものとしては、 新選組血風録人斬り以蔵燃えよ剣花神 馬上少年過ぐ最後の将軍―徳川慶喜十一番目の志士世に棲む日々竜馬がゆく幕末坂の上の雲胡蝶の夢殉死酔って候歳月王城の護衛者アームストロング砲 など(思いつくまま順不同)です。

司馬遼太郎氏はその著書 『歴史を紀行する』の中で、
対象とした土地は、私のその時の思いつきに拠っている。ただ、基礎的には、その風土性に一様性が濃く、傾斜がつよく、その傾斜が日本歴史につきささり、なんらかの影響を歴史の背骨にあたえたところの土地を選んだ。土佐、長州、薩摩、三河などはその強烈さの代表であろう。記述によっては、その風土的特質が日本歴史の根幹に交叉したという、その交叉部分がなんであったのかを考えることに力点をおいた。ややジャーナリスティックにいえば、日本の歴史の地方地方における楽屋うちというものを見たかったのである。
と書かれております。私も同じ気持ちで幕末を紀行しております。

できれば年内に行きたいところとして、函館、新潟、宇和島、高知、佐賀、日田、長崎、熊本を考えております。すでに取材した地でも再訪予定地がありますので、内容を充実させて行きますし(高杉晋作関連では下関市長府川端の功山寺、鹿児島西郷隆盛関連の取材など)、紹介の仕方についても分かり易いようにページを変更して行きたいと考えています。皆さんのご意見をMailでいただけましたら何よりも嬉しく思います。